公開整理をする

故小倉正史氏の蔵書やスライド・フィルム等資料を2019年に公開整理した記録

公開整理をする・番外編  「Tokyo Art Speak再考」開催報告

公開整理をする・番外編「Tokyo Art Speak再考」にご参加・ご協力いただいた皆様、ご興味を持ってくださった皆様、ありがとうございました。

簡単ながら開催報告
そして今回の企画をサポートをしてくださった福井さら氏によるレポートを掲載します。

Tokyo Art Speakや故小倉正史氏についてご理解を深めていただく一助となりましたら幸いです。

 

公開整理をする・番外編「Tokyo Art Speak再考」 開催報告

日時
 2020年11月23日(月・祝) 13:00-15:00

参加方法
 Zoomミーティング上で開催

参加者
 ゲストスピーカー:原万希子氏、大榎淳氏、小倉利丸氏
 ほか13名
 ※TASの方針を踏襲して、少人数定員で開催しました。

内容
 前半 小倉さんとTASをめぐって/TAS主要メンバー&同志の証言
 後半 ディスカッション

当日共有された資料・関連URL

▽TAS&故小倉正史氏について
・”Another City/見えない都市”(展覧会)
イタロ・カルヴィーノ 『見えない都市』1972年 
・『オケアノス』『相』(小倉氏制作の同人誌)
ギー・ドゥボール/シチュアシオニスト
COBRA/コブラ(美術運動)
Cobra : un Art Libre,Jean Clarence Lambert,Chêne,1983(書籍)
アトピックサイト展  
自由国際大学 
 『アドバスター』(カナダで発行されている大手広告スポンサーを持たない雑誌)
HAPS
富山県立近代美術館事件:検閲に関する問題
芸術概念を拡張せよ!―「表現の不自由展・その後」の展示再開へ向けて@国際自由大学
表現の不自由展その後再開に向けて:公式HP
美術評論家連盟会報への小倉さん追悼文

・TAS年表(うしお作成中)
・TAS配布資料

アーカイブ関連
インターネットアーカイブ 
ウェイバック 
京都市立芸大芸術資源研究センター 
多摩美術大学アートアーカイブセンター 

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TAS(1996年頃)の様子 提供:原万希子氏

福井さら氏によるレポート

はじめに
 去る11月23日(月祝)に「公開整理をする 番外編:Tokyo Art Speak 再考」(オンライン)が開催された。このイベントは、美術家であり本企画の主催であるうしお氏が東京都現代美術館「あそびのじかん」(2019)において開催した小倉正史氏(2020年3月急逝)の公開アーカイブ制作《公開整理をする》の番外編に位置付けられる。今回、小倉正史氏の蔵書や手書きの一次資料を含めた多くの物品を今後どのようにアーカイブとして収集整理し機能させていくかという方法論だけでなく、彼の批評的実践であった「Tokyo Art Speak」(以下TAS)について小倉氏のパーソナルな事柄を含め話を伺い意見交換することで、アーカイブ制作の意義や彼の思想について多角的に検討、考察する機会となった。また、コロナ禍で人々がどう協働しアーカイブを制作するか、オンラインでの手法を模索する機会ともなった。序盤はゲストスピーカー三名によるトークが行われ、小倉正史アーカイブの現状報告や小倉氏との関わり、Tokyo Art Speakの活動が紹介された。後半はゲストだけでなく参加者も交え小倉氏が関心を向けていたアートに対する検閲問題や既存のプラットフォームを用いたアーカイブの拠点作りについて意見が交わされ、小倉正史アーカイブを構築するための具体的な方向性がいくつか提示されたといえる。

TASの精神と、小倉正史氏の思考

 小倉氏と長年関わりを持っていた原万希子氏によれば、小倉氏は雑誌『アトリエ』の編集時代より、日本の現代美術がアメリカ偏向方であることに批判的であった。よって80年代には積極的にヨーロッパ(特にフランス)の理論と実践を多く取り上げ、ヤン・フートやハラルド・ゼーマンらを日本に紹介する先進性を見せる。こうした小倉氏と出会い、自身もインディペンデントなキュレーション活動を行う上で見識を深めるためカナダのレジデンスに参加した原氏は、1990年代初頭のカナダにおける先住民運動をはじめとした時局と美術のポリティカルな関係への積極的な介入を目の当たりにしたという。帰国後そうしたカナダと日本のありようにギャップを感じ、小倉氏とともに批評空間としてのTASを1993年に設立した。同年に公開されたTAS宣言文では、日本とヨーロッパのアートシーンを比べて理解される幾つかの違いについて、何がどう違うのか適当な例を取り上げ議論する月一のイベントを行い記録を出版するという主旨が示されていた。当時は東京在住のアメリカ人ギャラリスト美術手帖編集長の伊藤憲夫氏が参加し、TASをバイリンガルに行うことで国内外にアクセスを開いた。またTASは場所を固定しないこと、少人数で行うことなど小倉氏が重要視したディスカッションの有効性を担保するため幾つか推奨されるルールのもと運営された。しかし、1996年のアトピックサイト展における検閲行為の検証イベントを主宰したことによってTASが大規模化し、本来の性質を失いつつあった90年代半ば以降、活動は2004年らに再開され2007年の解散まで継続された。TASの主要メンバーであり経済学者の小倉利丸氏によれば1990年代の後半、TASではシチュアシオニストを取り上げたトークを多く行っていたという。ドゥボールのスペクタクル概念を支柱としたシチュアシオニスト・インターナショナルの母体でもあり、WWⅡ後の中央に対するカウンターでもあった西洋中心の美術運動「コブラ」の存在や、作家と作品が公的文化に動員されることに対するシチュアシオニストの抵抗。TASはそれらについて考える契機であったと小倉利丸氏は評価する。このように、TASという活動は日本現代アートシーンにおける制度や検閲を含む政治的な議題も扱い、西洋の重要な理論や潮流を引き込みつつ、時々の展覧会や作品について話し合う多様な言論の交点であった。

 東京という新しく多様な美術表現が渦巻く都市空間では、見るものの選択肢も多く消費のスピードも速い。そうした中で個々の作品や展覧会に素早く反応し、国際的な視点から美術批評を行ってきた小倉氏には、社会状況に左右されながら日本という閉じた空間で展開される現代美術への明確な危機意識が存在したのではないか。国内外の有力なキュレーターや批評家30人ほどが参加し1994年に制作された『批評の役割』では、彼らのメッセージをTシャツにプリントし販売した。その際小倉氏が作家として出品したTシャツには「現代美術の危機 ⒈装飾的になる⒉独善的になる(エリート意識、公衆からの避難)⒊スペクタクルになる⒋文化産業/行政に取り込まれる」という注意書きのようなものが印字されている。晩年にこの文言を見かえし「今も昔も考えていることが変わらない」とこぼした小倉氏の一貫した思想は、富山県立近代美術館からアトピックサイト展を経てあいちトリエンナーレへ続いた検閲への取り組みにも認められるだろう。トーク中盤では2019年にこの国際展で起こった「表現の不自由展・その後」の検閲問題に関連し、小倉利丸、大榎淳両氏も参加し自由国際大学で行われたシンポジウムの音声が公開された。ここで小倉氏は、少女像が強いメッセージ性を持ちながらも表現のレベルにおいては直接的ではなく、長崎や広島の像よりはるかに優れたアート作品として鑑賞できると指摘する。さらに国際展における責任所在について「ドクメンタ5」でのゼーマンへに対する告訴からディレクター退任という一連の騒動を引き合いに、津田芸術監督を強く批判する発言をしている。実際、当時の美術批評や言説において不自由展の作品の造形性やその質について言及したものは岡崎乾二郎氏など少数であり、ここには検閲をアートの問題として捉え作品の質に言及し、国際展におけるキュレーターの権威的な有り様に切り込む小倉氏の鋭敏な態度が垣間見える。さらに、こうした抑圧やスペクタクルへの抵抗の根底には、戦争体験による米国や日本への反発と怒り、同時に人間の自由や人権を絶対に守らなければいけないという強い意識があったと原万希子氏は指摘している。

小倉正史アーカイブの可能性ー断片・レスポンス・オンゴーイング
 さて、個人のアーカイブを制作する場合◯◯文庫のような形でのデータベース化などが考えられるが、トークでは前述のTASや小倉氏の精神に則ったアーカイブ構築が議論された。ここで重要とされたのは、小倉氏の思想の持つ断片的な性質をどのようにアーカイブに落とし込むかであった。たとえば、小倉氏による展覧会「Another City」では彼の書いたテキストを作家に送り、作家がそれに応答する形で作品を制作し、さらにその作品に応答するテキストが執筆され、その往復を収録した冊子が作成された。またTASが解散した2007年ごろ、小倉氏から原万希子氏に送られてきた宿題では封書に書かれたトピックについて書いて返送するというやりとりが行われたという。双方向的でTASに共通した現在性を持つこうした実践のアーカイビングは、関連資料を提示するだけでは足りず、小倉氏の与えた問いに現代の我々も取り組んでいくというオンゴーイングな方法でしか可能にならないという見解が示された。それは原氏が示した森美術館ダムタイプ関連アーカイブ「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s」にみられた非当事者たちが当事者からインタビューを集め制作するような雑多さと継続性が要される。よってうしお氏主催の公開整理のように非当事者を含めた多くの人々を巻き込む形式、TASの根本にあった批評的ディスカッションというやり方を踏襲し、その記録をアーカイブに収録するオーラルヒストリー的な方法論が有効とされた。そのほか、小倉氏が『アドバスター』のような反資本主義や環境主義を掲げる雑誌に関心を持っていたことや、批評を中心とした雑誌『オケアノス』を構想していた事もあり、冊子など印刷物としての記録も検討される。トーク後半では参加者の意見交換も行われ、小倉氏による制度や検閲への抵抗、アメリカに傾倒したアートワールドでを批判し西洋を重視するという判断の背景に存在した、歴史的状況を把握できるアーカイブにすること。また「大地の魔術師たち」やゼーマンを起点とする現代美術の流れの急速な制度化という状況から距離を置いた、小倉氏の美術史観を知れるようなアーカイブにすることは、現在の美術を学ぶ若い年代にとっても有益となるのではないかといった意見が提出された。小倉氏の経歴は、美術における最初期の仕事(東野芳明らと制作した同人誌『相』)を行った1950年代から、美術界を一時離脱した70年代を経て雑誌『アトリエ』の仕事についた80年代、再度美術界との繋がりを持ち始めTASや小倉塾設立に至った90年代後半から2000年代へと展開した。このような基本的なタイムラインを示しつつ、小倉氏の思想の断片に応答していく継続的な活動の記録を構成要素とした、パブリックで可変的なアーカイブ像が描かれた。

アーカイブの技術
 しかし、トークでは実際どこにそれを構築するか、現実のアーカイブ作業におけるコロナ禍の困難さも指摘された。現在、小倉氏の資料には大量の蔵書(展覧会カタログ含む)とTASで使用した印刷物、本人直筆の紙資料やイラスト、ヨーロッパや旅先で見たあるいは関わった展覧会の大量のスライドなど合わせて約70箱ほど残っている。このうちカタログとスライドはおおよそ連動しているが、その一致が不明確な上、フィルムそれ自体の保存の課題も抱えている。小倉氏の死後に設置されたアーカイブチームが主体となり、生前の小倉氏との関わりの中で展開されたうしお氏ら公開整理チームも参加し、資料を年代ごとに整理し、デジタルデータ化する作業が進められている。目下、長期的な蔵書保存場所の確保とデジタルアーカイブの拠点を設置が目指される。
 このデジタルアーカイブに関してトークでは、無料のプラットフォームの利用が提案された。アメリカが運営する「インターネットアーカイブ」はオンライン上にアーカイブを作ることのできる無料の一般公開ネットワークである。写真や映像などデータ化が可能なものの置き場として、システムの寿命を考慮し個人サイトではないパブリックな場所が推奨された。またコロナで先が見えない時代において、維持管理することと活用することの両立を図るならばオンラインが適しているとの意見も多数あった。さらにインターネットアーカイブのほか、同組織が運営しているマルチメディア資料アーカイブの閲覧サービスである「ウェイバックマシン」や、日本国内のものでは芸術資源と呼ばれる多種多様な記録の保存・活用を行う「京都市立芸術大学芸術資源研究センター」、多摩美術大学のアートアーカイブなどが紹介された。

おわりに
 以上のように今回のトークでは、1950年代から亡くなる直前まで精力的に活動した小倉正史氏の思想や実践についてTASでの事例と当事者であるゲストの語りを通じて理解を深めると同時に、小倉正史アーカイブの構築にはTASを踏襲した発展的な形式が必要であることが確認された。さらに今回参加者より新しく提示されたものを含め現在日本では見ることの難しい欧米の展覧会カタログや写真、希少図書を含む書籍やスライド、直筆の一次資料の保存場所と公開方法について、公的な施設への寄贈とオンラインの併用という具体案が示された。よって引き続きTAS関連資料の収集、書籍の整理やスライドとの紐付け作業、オンライン拠点の立ち上げが行われ、さらなる進展が期待される。

(2020年12月 福井)

 

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小倉氏のリスイラスト 提供:原万希子氏

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公開整理をする・番外編  「Tokyo Art Speak再考」